戊辰戦争で亡くなった西郷吉之助の弟・吉二郎
戊辰戦争のうちでも、「難儀は越後」として伝わる激戦地、現在の新潟県。そのなかの三条市を流れる五十嵐川沿いの戦いで、西郷吉之助の弟・吉二郎は致命的な傷を負いました。江戸や京都での勤め、または奄美諸島への配流などで長男でありながら家を空けることが多かった吉之助に代わり、西郷家を支えていたのは次男の吉二郎でした。
戊辰戦争は初めての藩外での活躍の場であったにも関わらず、吉二郎は慶応4(1868)年8月2日に戦場で負傷します。その後髙田(現在の上越市)の病院に搬送されますが、14日には帰らぬ人となりました。
その報を聞いた西郷は、激しく悲しんだと伝わります。また、年齢的には自分が兄であるが、家を支えてきた吉二郎の方が兄のような存在であったとも述べています。
吉二郎の墓を管理する髙田日枝神社の神主に、吉之助は祭祀料を遣わしています。戊辰戦争は西郷家にとっても悲しい戦争でありました。