西郷隆盛 (さいごう たかもり)
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国立国会図書館蔵 -
文政10(1827)年~明治10(1877)年
鹿児島城下の下加治屋町で生まれる。下級武士であったが島津斉彬に目にとまり、お庭方役(庭の世話をする)となる。2度の遠島の憂き目にあいながらも、元治元(1864)年召喚され禁門の変で活躍。その後も薩長同盟の成立や戊辰戦争を主導する。鹿児島を代表する偉人の一人。
大久保利通 (おおくぼ としみち)
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国立国会図書館蔵 -
天保元(1830)年~明治11(1878)年
高麗町で生まれるがその後下加治屋町に移る。島津久光から信頼を得て、薩英戦争後のイギリスとの交渉のまとめ役となった。その後薩摩藩全体を動かし、倒幕運動を進めていく中心的役割を果たす。明治になると内務卿となり日本の近代化に取り組む。西郷隆盛、木戸孝允と共に維新の三傑の一人。
小松帯刀 (こまつ たてわき)
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国立国会図書館蔵 -
天保6(1835)年~明治3(1870)年
20歳のとき、小松家の養子となり、27歳の若さで薩摩藩家老、のちに城代家老となる。西郷や大久保などの働きをたすけ、藩をまとめ、薩長同盟の締結や大政奉還のときも藩を代表した。しかし志半ばで34歳の若さで亡くなった。
篤姫(天璋院) (あつひめ (てんしょういん))
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尚古集成館蔵 -
天保6(1835)年~明治16(1883)年
島津一門家の今和泉島津家に生まれるが、島津斉彬の養女となり、13代将軍徳川家定の御台所(正室)となり、幕末動乱の世にあって江戸城の大奥を取り仕切る。明治元年に戊辰戦争が起こると静寛院宮(14代将軍家茂の正室。和宮)とともに徳川家存続のために尽力する。
島津斉彬 (しまづ なりあきら)
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尚古集成館蔵 -
文化6(1809)年~安政5(1858)年
島津家第27代当主斉興の長男として江戸の屋敷で生まれる。嘉永4(1851)年、藩主就任直後から藩政を改革し、西洋の文明を取り入れ、集成館事業をおこし、磯に反射炉や溶鉱炉を作るなど富国強兵をすすめる。優秀な人材を身分や藩を超えて登用した。しかし、49歳の若さで急死した。
五代友厚 (ごだい ともあつ)
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国立国会図書館蔵 -
天保6(1835)年~明治18(1885)年
城ヶ谷出身。安政4(1857)年、長崎の海軍伝習所で学ぶ。薩英戦争時松木弘安(寺島宗則)と共にイギリスの捕虜となる。慶応元(1865)年、海外留学生派遣を説いた意見が認められ、渡英。明治になり大阪に最初の商法会議所を設立し会頭となるなど、大阪の商業発展に力を注いだ。
村橋久成 (むらはし ひさなり)
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北海道大学附属図書館蔵 -
天保13(1842)年~明治25(1892)年
23歳の時に、藩命にて英国留学。27歳の時に旧幕府軍の五稜郭陥落に貢献する。34歳の時に、現在のサッポロビールの前身である麦酒醸造所北海道建設を促す計画書を提出し、1876年、札幌に日本で初めて本格的なドイツ風ビール工場を稼働させた。
黒田清隆 (くろだ きよたか)
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国立国会図書館蔵 -
天保11(1840)年~明治33(1900)年
鹿児島城下に生まれる。薩長同盟成立にあたり西郷の使者として長州に行き木戸孝允などの上京のため尽力。戊辰戦争でも活躍。明治になり開拓官、のちに開拓長官として、北海道開拓の基礎を築く。1888年、大日本帝国憲法発布のときの内閣総理大臣(第2代)であり、その後枢密院議長など要職を歴任した。
西郷従道 (さいごう つぐみち)
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国立国会図書館蔵 -
天保14(1843)年~明治35(1902)年
下加治屋町で生まれる。長兄隆盛とは16歳離れている。薩英戦争ではスイカ売り決死隊に志願。戊辰戦争では各地を転戦した。明治政府では、1885年初代海軍大臣となり、その後海軍大臣、内務大臣など、連続9代の内閣に名を連ね、1894年日清戦争ではわが国最初の海軍大将となった。1882年短期間ながら最後の開拓長官となる。
森有礼 (もり ありのり)
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国立国会図書館蔵 -
弘化4(1847)年~1889(明治22)年
17歳の時、薩摩藩英国留学生の一員としてイギリスに留学。1885年、初代文部大臣となり、学校令などを制定し、学校制度を近代的なものにかえた。また全国各地を見てまわり、教育施設の充実を図るなど、学校教育の発展に尽くした。1889年、大日本帝国憲法発布の当日、暴漢に刺され、42歳の若さで亡くなった。