凱旋兵士による藩政の掌握

  • 明治維新と薩摩藩
  • 2019.01.04
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戊辰戦争に従軍した薩摩藩兵は、約6000人でした。彼らは、北越や東北などの戦況に応じて鹿児島に帰郷し、勝利の勢いと共に藩庁に対して藩政の改革を要求するようになります。
こうした凱旋兵士は鹿児島城下の下級武士が中心で、戊辰戦争開始以前から急進的な倒幕論者が多い傾向にありました。特に指導的地位にあったのは、川村純義や伊集院兼寛などで島津久光に対して門閥の打破や能力や功績に応じた人材の登用を建白しました。当時の島津久光は、子息らが門閥として藩政の中枢にあることから、こうした要求に対してはそれなりの苦悩があったと考えられます。そのため、久光は新政府の仕事に従事している小松帯刀や吉井友実らを帰国させて、凱旋兵士の対応を命じています。また、明治2年には大久保利通も帰郷させています。
さらに西郷隆盛にも藩政に復帰するように促し、島津忠義は日当山温泉に湯治中の西郷のもとに訪ねています。このように、明治元年から2年にかけては、薩摩藩にとって、また島津久光ら藩の首脳にとっても、これまでにない問題の解決を迫られる時期でありました。

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